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バブルに咲いた「マリア」伝説とは 福岡の最新クラブ事情

2017年03月23日 03時00分 更新

記者:木村貴之


  • 大きな吹き抜けがあり、当時最先端の音響や照明設備などが備わった「マリアクラブ」のメーンフロア(1991年)

  • 「マリアクラブ」では、レースクイーンコンテストなど当時の世相を映す多彩なイベントが連日催されていた(1994年)

  • 「マリアクラブ」で催されたパーティーイベント。当時流行していた「ねるとんパーティー」とみられる(1990年)


 延べ床面積は、当時国内最大規模の2200平方メートル。地上5階建ての1、2階にダンスフロアがあり、5階まで吹き抜けになった2階には最先端の照明装置やスピーカーシステムなどを備えた大箱だった。空前のディスコブームだったその頃は、週末になると県内外から詰め掛けた若者らで満員になり、九州屈指の超人気スポットとしてにぎわった。長崎から特急かもめで福岡へ遊びに来る「かもめ族」という言葉が生まれたのも、この頃。90年代に入ってブームが下火になり、2001年に閉店するまで数々の伝説を残した。

 日本のディスコシーンは、火付け役となったジョン・トラボルタ主演の青春映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977年)の公開以降、盛衰を繰り返してきた。マリアクラブは第三次ブームに乗って登場し、周辺には全国の人気ディスコ「マハラジャ」「ラジオシティ」などが相次いで進出。マリアクラブは、東京系を迎え撃つ格好で界隈に次々と姉妹店を増やし、店の前の路地は「マリアストリート」と呼ばれた。80年代後半、界隈には大小20軒前後のディスコが乱立し、全国でも類を見ないディスコ激戦区になった。

 マリアクラブを手掛けたのは、中洲でのキャバレーチェーン展開で成功を収めた地場企業。女性の社会進出を後押しする85年の男女雇用機会均等法の改正(86年施行)を受け、「夜の歓楽街にも女性が進出する」とにらんでいたという。そこで、客層が男性中心のキャバレーとは異なる20〜40代の男女をターゲットに。狙い通り、コム・デ・ギャルソンなど当時流行したDC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドに身を包んだサラリーマンや、体の線を強調したミニのワンピースやタイトスカート姿のボディコンOLらが殺到した。

福岡市・中洲で昨年10月オープンしたダンスクラブ「美獣 bijou」。最先端の音響や照明、映像装置で空間を演出する(撮影・木村貴之)
セクシーな衣装とノリノリの躍りで「美獣」のダンスフロアを盛り上げる「バーレスクTOKYO」の女性ダンサーたち
美獣に登場した「DJ KAORI」。リミックスCDの売り上げ世界一を誇る女性DJで、マライア・キャリーやマイケル・ジョーダンなどスーパーセレブからパーティーDJをオファーされたことも
美獣のフロアを取材中、「私たちを撮って」と声を掛けてきた女性2人組。お立ち台に上がった気分のポーズ?(撮影・木村貴之)
「美獣」のフロアの片隅で目を光らせるセキュリティー班の外国人男性。一見こわもてだが、優しく、礼儀正しい紳士がそろう
興奮に包まれた「美獣」のダンスフロア。週末は人気DJらが相次ぎ来演、中洲の夜更けを盛り上げる
「マリアクラブ」のダンスフロア。週末は九州各地から若者が集まり、「かもめ族」「有明族」の言葉も生まれた(1988年)
親不孝通りの路地にあったマリアクラブ。系列のディスコや飲食店も並び、路地は「マリアストリート」と呼ばれた(1991年)
「マリアストリート」の今。マリアクラブ跡地(右)には高層マンションがそびえ、かつての面影はない(撮影・木村貴之)
かつて親不孝通りが歓楽街と化したのを受け、福岡県警が1993年に新設した舞鶴交番。マリアクラブの名残といえる?
バブル期に全盛期を迎えたマリアクラブ。ダンスフロアにみなぎった活気が忘れられない人は少なくない(1989年)
時代は変わっても根強いファンがいる福岡のダンスシーン。興奮の体験は職場や地域、時代の活力につなげたい(撮影・木村貴之)









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