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バブルに咲いた「マリア」伝説とは 福岡の最新クラブ事情

2017年03月23日 03時00分 更新

記者:木村貴之


  • 親不孝通りの路地にあったマリアクラブ。系列のディスコや飲食店も並び、路地は「マリアストリート」と呼ばれた(1991年)

  • 「マリアストリート」の今。マリアクラブ跡地(右)には高層マンションがそびえ、かつての面影はない(撮影・木村貴之)

  • かつて親不孝通りが歓楽街と化したのを受け、福岡県警が1993年に新設した舞鶴交番。マリアクラブの名残といえる?


 「ターゲット層は流行に敏感な世代。旬の有名人や当時のトレンドを生かしたイベントを次々に仕掛け、全国で話題になった」。成功の要因をマリアクラブの元ゼネラルマネジャー柴田昭義さん(57)は振り返る。

 オープニングを飾ったのは、音楽プロデューサー小室哲哉が率いるユニット「TM NETWORK」のライブ。人気絶頂のTMNによるパフォーマンスにフロアは熱狂した。小室自身、店をいたく気に入り、「Maria Club(百億の夜とクレオパトラの孤独)」という名の楽曲も制作。87年発表の4枚目アルバム「Self Control」に収録された。

 昨年亡くなった米国の大物ミュージシャン、プリンスもボディーガード同伴で来店した。逆に、「爆風スランプ」のサンプラザ中野くん、プロ野球選手だった清原和博の入店を断ったという。柴田さんは「ドレスコードが厳しく、スキンヘッドもNGだった。きっとスタッフが気付かなかったのでは」と苦笑する。

■「親不孝通り」の盛衰にも影響

 マリアクラブの隆盛ぶりは、街にも影響を与えた。通りに「親不孝通り」の愛称が付いたのは70年代。もともと「天神万町(よろずまち)通り」と呼ばれていたが、界隈に2校あった予備校に通う浪人生が街にあふれ、予備校生ら若者目当ての店が軒を連ねていたことに由来する。

 にぎわいの絶頂期、マリアクラブの運営会社は、ディスコ姉妹店とレストラン、バー、カラオケパブなど計17店を営業。近隣には同じ深夜型飲食店の出店も相次いだ。親不孝通りで生まれ育った九州経済調査協会研究員の清水隆哉さん(39)は「全部で600〜700店はあった」と推計。マリアストリートについては「年間120万人が往来したと聞く」そうだ。

福岡市・中洲で昨年10月オープンしたダンスクラブ「美獣 bijou」。最先端の音響や照明、映像装置で空間を演出する(撮影・木村貴之)
セクシーな衣装とノリノリの躍りで「美獣」のダンスフロアを盛り上げる「バーレスクTOKYO」の女性ダンサーたち
美獣に登場した「DJ KAORI」。リミックスCDの売り上げ世界一を誇る女性DJで、マライア・キャリーやマイケル・ジョーダンなどスーパーセレブからパーティーDJをオファーされたことも
美獣のフロアを取材中、「私たちを撮って」と声を掛けてきた女性2人組。お立ち台に上がった気分のポーズ?(撮影・木村貴之)
「美獣」のフロアの片隅で目を光らせるセキュリティー班の外国人男性。一見こわもてだが、優しく、礼儀正しい紳士がそろう
興奮に包まれた「美獣」のダンスフロア。週末は人気DJらが相次ぎ来演、中洲の夜更けを盛り上げる
「マリアクラブ」のダンスフロア。週末は九州各地から若者が集まり、「かもめ族」「有明族」の言葉も生まれた(1988年)
大きな吹き抜けがあり、当時最先端の音響や照明設備などが備わった「マリアクラブ」のメーンフロア(1991年)
「マリアクラブ」では、レースクイーンコンテストなど当時の世相を映す多彩なイベントが連日催されていた(1994年)
「マリアクラブ」で催されたパーティーイベント。当時流行していた「ねるとんパーティー」とみられる(1990年)
バブル期に全盛期を迎えたマリアクラブ。ダンスフロアにみなぎった活気が忘れられない人は少なくない(1989年)
時代は変わっても根強いファンがいる福岡のダンスシーン。興奮の体験は職場や地域、時代の活力につなげたい(撮影・木村貴之)









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