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【福高讃歌】(1)校舎大火も魂は焼けず 不屈の精神フェニックスのごとく

2017年04月24日 03時00分 更新


  • 校舎前で新入生たちを迎えたフェニックスの木(撮影・宮下雅太郎)

  • 創立時の校門

 100年の伝統を誇る福岡高の校門に、期待に胸を膨らませながらも緊張した面持ちの新入生400人が吸い込まれていく。

 ⇒ノーベル賞受賞者を輩出

 7日に開かれた入学式。校舎前では、ほぼ満開の桜とともに深緑の葉を鳥の翼のように広げたフェニックスの木が出迎えていた。不死鳥の名を冠するこの木は、福中生・福高生に連綿と受け継がれてきた学校の「魂」のシンボルでもある。

 それは、創立からわずか10年目、元号が大正から昭和へと替わっておよそ半年後の夜の出来事だった。

 千代の松原が広がっていた現在地に、木造の新校舎ができて8年後の1927年6月23日午前0時ごろ、校舎南館教室辺りから出火。火は瞬く間に燃え広がった。駆け付けた生徒や教員が必死で書類や標本などを運び出したが、コンクリート造りの玄関以外、校舎は焼け落ちてしまった。

 「福中大火」と呼ばれ、後の麻生セメント会長、麻生太賀吉も駆け付けた一人で、火の海を眺めながら涙を流す生徒もいた。

 だが焦土を前にしても、福中生たちは絶望しなかった。授業は修猷館の寄宿舎を借り、火災現場から持ち出した机や備品を運び込んで続けられた。5日後には卒業生による慰問激励会が開かれ、九州大へ進学していた具島兼三郎(後の長崎大学長)らが演説に立ち、在校生を鼓舞した。

 「福中焼くとも、福中魂は焼けず」。自らも福中出身の石飛英二(90)=福岡市早良区=は、大火当時に福中の教員だった父朋一が当時、福中生たちが口にしていた合言葉を誇りにし、自分に何度も語っていたのを覚えている。

 大火の約40日後には、柔道部が全国大会で優勝し、全校生徒を勇気づけた。

 同窓会は復興運動に奔走した。寄付金募集や県議会への請願活動などに懸命になった。その年の9月にはバラック校舎での授業が始まり、鉄筋3階建ての新校舎は29年4月に完工した。どんな逆境にも決して屈しない精神。戦後、新制高校になっても「福高魂」として受け継がれていった。

 創立50年を記念し、当時PTA役員だった初村与佐吉(初村第一倉庫創業者)は福高にフェニックスの木を贈った。当初は2メートルほどの高さだったが、半世紀かけて生徒たちとともに大きく“成長”。約4万3千人に上る卒業生たちが紡いだ輝かしい伝統を象徴する大木となった。

 この日の入学式。新入生代表の安河内亮太(15)は、瞳を輝かせながら宣誓した。「福高生の誇りと自覚を持って、高校生活を充実したものにするため全力を尽くします」。包み込むような大木に迎えられた新入生たちの表情は、福高の新たな一ページを刻んでいく気概に満ちていた。 =敬称略










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