「集落の実情見てほしかった」
「家族全員が再生チーム」−。2013年9月、集落支援員に就任した上治英人さんはそう宣言し、槻木の住民に寄り添ってきた。その思いを聞いた。
―活動を振り返って。
「生活支援をしていく中で住民に笑顔が戻り、野菜作りなどのやる気と活力につながった。槻木小再開時に校歌を全員で歌い、過疎の近隣町村が槻木の取り組みを機に集落消滅への危機意識を持ったことなど、地域おこしは心と人を動かすことだと実感した」
―学校再開が地域へ与えた波及効果は。
「『一日、誰ともしゃべらん』と言っていたお年寄りたちが自由参観などの学校行事で寄り合う機会ができた。孫のように児童の成長を見守るなど、住民の生きがいになった」
「夏休みは毎朝、一家で地域を巡回してラジオ体操をした。こうした仕掛けで、家に閉じこもりがちな住民が、自分の足で出向いてこられるようになった」
―町の政策転換について。
「(吉瀬町長には)現場に足を運んで私の活動なり、槻木の実情を見てほしかった。よそ者を受け入れる多様性や、地域おこしへのチャレンジ精神を認めてほしかった。槻木の住民と行政と支援員は連携できていたが、過疎集落が消滅しかねないという危機意識、当事者意識が、町全体には広がらなかったのでは」
―槻木の住民へひと言。
「わが家へ掛けてくれた愛情に心から感謝したい。福岡に戻るが、一応援団として槻木の食材のPRなどをやっていく」
◆「町長は早急に説明を」
槻木地区再生事業に助言してきた徳野貞雄熊本大名誉教授(農村社会学)の話 住民だけでは集落が維持できないとの理由から「よそ者」の新しい血を入れたはず。政策の評価、検証をせず、政争の具とするのなら地域づくりはやっていけない。吉瀬町長の対応は、全国の地域づくり関係者に不安感を与えた。上治さんの後任など今後、具体的にどう槻木を支えていくのか、町長は早急に説明する責任がある。