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天神大牟田線物語

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【天神大牟田線物語】(16)3列車に機銃掃射、64人犠牲に

2017年08月24日 03時00分 更新

記者:西鉄広報課・吉富実氏


  • 空襲で焼け野原となった大牟田市中心部。左上は松屋デパート

 1937(昭和12)年に日中戦争が始まってからの戦時体制下で、福岡―大牟田の利用者は急増します。沿線で軍事拠点や軍需工場が増えたからです。

 福岡城内には、九州の防衛を統括する西部軍司令部が小倉から移転しました。雑餉隈から春日原にかけては、前翼型戦闘機「震電」を試作した九州飛行機と水雷製造の九州兵器が工場を拡張し、陸軍造兵廠(しょう)春日製造所も開設され、徴用工や勤労動員の学徒など数万人が働いていました。

 大正期から軍都である久留米には軍需品のゴム工場があり、大牟田の三池炭鉱は製鉄所や発電所用の石炭増産に沸きました。

 こうした街を結ぶ大牟田線の急行は、41年に所要時間を75分に短縮し、翌年には運転本数を8往復、105分間隔に増発します。










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