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谷口稜曄さん死去、88歳 長崎で被爆、核廃絶に尽力

2017年08月30日 11時20分 更新


  • 2015年の長崎平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げる谷口稜曄さん

  • 1946年1月に米軍が撮影した谷口稜曄さんの写真

 長崎原爆で被爆し、真っ赤に焼けただれた背中の写真で知られる日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の谷口稜曄(たにぐち・すみてる)氏が30日午前3時45分、十二指腸乳頭部がんのため長崎市内の病院で死去した。88歳。福岡市出身。自宅は長崎市大鳥町15の33。通夜は31日午後7時、葬儀・告別式は9月1日午後1時から、いずれも長崎市光町16の18、平安社長崎斎場本館で。喪主は長男英夫(ひでお)氏。

 16歳の時、郵便配達中に爆心地から約1・8キロ地点で被爆。自転車ごと吹き飛ばされ背中に大やけどを負った。治療のため約1年9カ月をうつぶせのまま過ごし、床擦れで胸の筋肉も壊死(えし)。このときに米国戦略爆撃調査団が撮影した赤い背中の写真は、長崎原爆資料館にも展示されている。

 戦後は被爆者に対する偏見に耐えながら被爆者援護運動に注力。海外での講話も多く、欧州などを20回以上訪問して体験を語った。講話では常に自身の赤い背中の写真を掲げ、核兵器の非人道性を訴えた。8月9日の平和祈念式典で長崎市長が読み上げる平和宣言文の起草委員も長く務めた。

 2010年5月には米ニューヨークの国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議で被団協代表としてスピーチし「核兵器と人間は共存できない。どんな理由があろうとも絶対に使ってはならない」と訴え喝采を浴びた。

 最近は体調を崩し長崎市内の病院に入院していたが、今年7月、仲間に向けたビデオメッセージで「被爆者が一人もいなくなった時にどうなるのか」などと述べ、警鐘を鳴らしていた。










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