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「田の神さぁ、守ってください」 噴火警戒する宮崎・えびの市 平穏と繁栄の願い込め

2017年10月20日 03時00分 更新

記者:木村貴之


  • えびの市中内竪地区にある神官型の田の神さぁ。衣冠束帯姿で田んぼを背に南を向き(上)、視線の先には霧島連山が横たわる(下)。石像は新燃岳大噴火から間もない享保10(1725)年の作

  • 四方を山で囲まれた宮崎県南部の盆地に位置するえびの市。北に川内川、南に霧島連山(上)を仰ぎ、中央に田園が広がる


 視線の先あるのは霧島連山だ。享保10(1725)年の作。新燃岳大噴火(1716〜17年)から間もない時期とあって「山を鎮めるために置かれたのではないか」と地元では解釈されている。

 鹿児島県歴史資料センター黎明(れいめい)館によると、南九州は古くから台風や豪雨による風水害が多発。桜島や霧島連山の噴火による降灰被害にも見舞われた。その後の土壌改良として、上層土と下層土を入れ替える「天地返し」が広範囲で行われたという。農業は、藩政時代から続く基幹産業。基盤を整えるだけで大変な労力を要したことが分かる。

 「苦難が続く中、住民のよりどころになった田の神さぁ。石像は、信仰が地域の絆を深め、産業基盤を築いた歴史を物語っている」
えびの市企画課の浜田圭三さんは、そう語る。

 ■盗めば豊作になった?

 宮崎南部には、かつて「オットイ田の神」という風習があったそうだ。オットイは「盗み」という意味の方言。豊作だった田んぼの石像を盗んで不作続きの田んぼに置けば、豊作になったと伝わる。持ち主に返す際は双方で宴会を開き、豊作を祝い合ったという。石像は地域の支え合い、結びつきの要だったのだろう。

 また、全ての神様が出雲大社(島根県出雲市)に集まるといわれる神無月(10月)でも、「田の神さぁ」たちは土地に残り、住民の暮らしを守ったとも伝わる。

 市内の温泉街にあるJR吉都線京町温泉駅では、そんな「田の神さぁ」のレプリカが数体並び、観光客を出迎える。「庶民的でおおらかな神様として親しまれてきた歴史を観光客にも発信しています」と浜田さんは話す。

 新燃岳と硫黄山への警戒が強まり、今、地元ではヘルメット姿の子どもたちがマスクを着けて通学している。それでも、高原の盆地に広がる田んぼは、いつもの年と同じように色づいてきた。そのそばで「田の神さぁ」たちは静かに地域を見守っている。
 

右手にしゃもじ、左手に茶碗を持つ農民姿の田の神さぁ。鮮やかな紅白のペイント、「ホレ、飯食え」と言わんばかりの表情がユーモラスだ=宮崎県えびの市末永地区
稲穂が色づき、収穫期を迎えた宮崎県えびの市の田んぼ。地元産ヒノヒカリは日本穀物検定協会の2015年産米の食味ランキングで最優秀の「特A」を獲得した









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