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「ポテト王」の足跡たどる 福岡・久留米出身の牛島謹爾 明治大正期、米国でジャガイモ栽培成功

2017年11月12日 03時00分 更新

記者:萱島佐和子


  • 「ポテトキング」と呼ばれた牛島謹爾(久留米市教育委員会提供)

  • 「牛島の身長に合わせて作ったそうですよ」と生誕の地を案内してくれた菰田さん

  • 漫画「牛島謹爾」の出版に向け、校正を続ける久留米大の学生たち

久留米大生が漫画制作中

 米国で明治大正期にジャガイモ栽培を大成功させ、「ポテトキング」と呼ばれた福岡県久留米市出身の男性がいる。牛島謹爾(きんじ)(1864〜1926)。日本人移民と米国人の関係改善にも奔走するなど、その功績は大きく、久留米大の学生が牛島を紹介する漫画を制作中だ。ゆかりの地を巡った。

 「ポテト王 牛島謹爾翁生誕之地」と刻んだ碑が久留米市梅満町に立つ。180センチ近い高さで「牛島の身長と同じ高さで作っているそうです」と、久留米大文学部の授業の一環で漫画を作っている菰田(こもだ)紘平さん(21)=3年=が案内してくれた。当時としては大柄な人だったようだ。

 久留米の豪農の三男に生まれた牛島。菰田さんは「現在の八女市にあった私塾『北汭(ほくぜい)義塾』で学んだことが、後の人生に大きな影響を与えたようです」と話す。当時17歳。後に三越の創始者となる日比翁助(ひびおうすけ)ら優秀な仲間に出会い、刺激を受けたようだ。

 八女市上陽町の小中一貫校「上陽北汭学園」を訪ねると、敷地の一角に北汭義塾があったことを示す碑が立っていた。

   ■     ■

 牛島は大学受験のために上京。合格はならなかったが、東京で文明開化の風に吹かれたことがもう一つの転機になった。

 「欧米に学べ」という時代。24歳で渡米し、さまざまな仕事を体験する中でビジネスに興味を持ち始め、ジャガイモ農家で働くようになる。やがてカリフォルニア州の土地を手に入れるが、それは川の合流点で水はけが悪く、誰も開拓できなかった土地だった。

 「そこで牛島を助けたのが出身地・久留米の知恵なんです」。牛島に関する資料を保管している久留米市文化財保護課の担当者が説明する。牛島は農業の知識に優れた兄覚平を呼び、かんがいの技術を生かしてその土地を開拓した。「筑後川は数年ごとに氾濫していました。筑後の洪水に負けない農業技術が役立ったのでしょう」(担当者)。

 米国人の生活に欠かせないジャガイモの大規模栽培に成功した牛島に再び試練が訪れる。安価な労働力として流入してきた日本人移民に対する排斥運動が激しくなったのだ。在米日本人会の初代会長として日米関係の改善に努める中、1906年に米国で大地震が起きる。ここで牛島は大量のジャガイモを救援物資として提供。その行為は多くの米国民を感動させた。

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 牛島の子孫は米国在住だが、兄覚平の子孫は久留米にいる。市職員の竹村美穂さん(53)もその一人。「アニメ映画『トイ・ストーリー』に出てくるミスター・ポテトヘッドのモデルという説もあるんですよ」と米国での浸透ぶりを教えてくれた。

 10月30日、久留米大の教室を訪れると、菰田さんたちが漫画の校正に追われていた。12月1日の発売を目指しているという。

 62歳で亡くなった牛島。渡米後、日本に戻ったのは1回だけだったという。「その人生は成功だけでなく、多くの挫折と失敗がありました。それでもくじけなかったから『キング』と呼ばれる人生を送れたのでしょう」と菰田さん。「だからこそ、僕らみたいな若い人に牛島について知ってもらいたい」と力を込めた。










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