ようこそ ゲスト様

qBiz 西日本新聞経済電子版

妥協なき「中島ブルー」 失敗作の陶片積み重ね 故中島宏さん

2018年03月08日 03時00分 更新


  • 2007年7月、人間国宝に決まり、試行錯誤を繰り返した証しでもある陶片の山「物原」で作陶への意欲を語る中島宏さん

 佐賀県・伊万里支局に赴任して間もない1975年夏、中島宏さんから連絡が入った。

 「“雨過天青(うかてんせい)”の青磁が焼けたぞ」

 すぐに武雄市西川登の彼の窯に駆けつけた。澄んだ青磁の茶碗。自信に満ちた中島さんの表情。今も目に焼き付いている。その後も竹林に囲まれた窯で会うたびに、いつも空を仰ぎながら熱弁を振るっていた。

 「俺の青磁は空と竹の天然自然の青が目標だ」

 中島さんの青磁は、ボディーが白い磁土と、鉄分の多い陶土で造形する2通り。前者を青磁、後者を青瓷(せいじ)と呼んだ。青磁を焼く陶芸家は多いが、青磁と青瓷を呼び分けるほど、さまざまな陶土と釉薬(ゆうやく)による多彩な色調と豪快な造形を見せる青磁作家は他にいなかった。

 探求心も強く、世界的な陶磁史研究家で陶芸家でもあった小山冨士夫氏を20代から師と仰ぎ、氏にもらった中国郊壇(こうだん)官窯(かんよう)の陶片を手元に置いて目標にした。両腕に作品を下げ、神奈川県鎌倉市に住む小山氏を訪ね、批評も請うた。中国の青磁産地で有名な龍泉窯には3度も訪れた。84年に博物館で見た殷(いん)の古銅器に施された饕餮文(とうてつもん)に触発され、93年の東京での個展でボディー全体に緻密な彫文を巡らした大作を出品し、青磁に重厚さをもたらした。

 唐津焼の一分野と見なされた「古武雄」の収集家でもあり、その再評価にも貢献した。古武雄の古窯跡は中島さんの窯近くにもあり、江戸時代中期に武雄市南部で焼かれた陶器で、狩野派を思わせる雄渾(ゆうこん)な筆遣いの松の絵や刷毛目象嵌(はけめぞうがん)の壺(つぼ)や大鉢などをコツコツ集めていた。そのおかげで、2013年3月には九州国立博物館で古武雄を打ち出した展覧会も開かれた。

 07年、人間国宝に認定された時の取材は、窯の裏にある物原(焼き物破片の捨て場)の上で応じた。「ここは誰にも見せなかったけど、俺の宝の山です」と言った物原は高さ3メートルほどの陶片の積み重なりだった。

 失敗作の山なりを見て、すまして泳ぐ白鳥の足掻(あが)きを思った。見えない水面下の懸命な足掻きのように、中島青磁も焼かれる過程で失敗が多く、安易な妥協を許さない厳しさがあった。 (元西日本新聞文化部記者、山本康雄)










九州経済 ニュースの最新記事



そもそもqbizとは?

Recommend

ランキング

Recommend

特集 最新記事

コラム 最新記事