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残された時間はどんどん少なくなる 聞きとどめておかなければいけない話

2018年06月16日 03時00分 更新

記者:福間慎一


  • 自宅近くの河川敷で、じいちゃん(右奥)とたこを上げる私と息子(手前)=1月3日、福岡市

  • じいちゃんがニューギニアに上陸したころ、本紙でも連日、南方戦線に関する大本営発表が大きく取り上げられていた(1944年6月5日付)

 突然の旅立ちだった。

 福岡市東区の田富三千男さんが、6月10日午後に病気で亡くなった。大正10年11月生まれの96歳。補聴器一つ付けず、ときどき脚立に登って屋根の修繕をして、家族の誰よりも早足で歩き、正月には驚くほど高々と上がるたこをつくり、さらにお酒も強い「かくしゃく」を絵に描いたような人だった。亡くなる直前の10日朝まで、いつもと変わらないように庭の掃除をしていた。

 田富さんは妻の祖父。実家を訪れると、孫と同じように私もかわいがってもらい、「じいちゃん」と呼ばせていただいていた。

 じいちゃんは、仏前での朝夕の勤めを欠かさなかった。そらんじるお経の合間に、必ず唱えていたのが、太平洋戦争での戦友たちの安らかな眠りを願う言葉だった。

 食卓を囲むと、じいちゃんはよく戦地の話をした。

 「いやあ、あんときは往生した(参った)ばい」――。記憶はしっかりしていて、戦友たちの名前も忘れない。昨年秋に福岡に戻ってきた私は「じいちゃんの出征談を一から聞いて書くけん、来年の夏に向けていろいろ教えてくださいね」とお願いしていた。じいちゃんは、うれしそうだった。

 なのに、自分は仕事に追われて毎日を過ごす中で、その機会をしっかり設けられていなかった。そしてじいちゃんは、早足で旅立ってしまった。

◆   ◆   ◆

 宮崎県で生まれ、入隊前は大阪で紙袋や紙紐を作る工場で働いていたというじいちゃんは、太平洋戦争開戦後間もない1942年2月、22歳で第6師団の騎兵第6連隊補充隊に入った。

 「騎兵隊っちゅうけん馬か、と思って入ったら、初日に新兵がずらーっと集められて、その前に長い剣と短い剣が並んどってね。自分の名前は短い剣の所にあってね。『長い剣は騎兵、短い剣は戦車』。そげなふうに言われて、始まったったい」

 そうして戦車兵になったじいちゃんは、訓練のために熊本の水前寺公園に連れて行かれた。「周りがのどかに花見ばしよる中で鍛えられて、ありゃあとんでもない思いばさせられた」という。

 その後満州で入営し、戦車兵として大連に出向した。その後、海上機動第2旅団戦車隊に転属となり、ニューギニアに送られる途中に、船が米軍の魚雷攻撃で航行不能になり、命からがら救助されたという。44年6月4日、目的地のソロンに上陸した。

 激戦の中で多くの戦友を失ったが、「銃弾がぴゅんぴゅん飛んでくるとば、隣におったと(戦友)が、木の枝ば掲げて身を守ろうとしよったもんで『そげなもんで守れるもんか』って笑ってくさ」。現地では戦闘が続いていた45年9月1日に上等兵から兵長に昇進。復員したのは、翌年の6月だった――。

 山ほど話があって、どれも残したかった。じいちゃんの軍歴資料を県庁で取り寄せ、戦史叢書などの資料と重ねながら、一人の兵士がどのような歩みをたどり、何を思っていたのかを記したかった。


じいちゃんの葬式には、愛読書や好きだったお菓子を置いた。たばこは5年ぐらい前に「卒業」していた
福間慎一(ふくま・しんいち)<br />
福岡市生まれ、2001年入社。文化部、長崎総局、本社報道センターなどで記者。1年間のヤフー出向を経て17年9月からqBiz編集長。特技は居酒屋のメニューを指1本でくるくる回すこと。









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