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忙しいけど、時間をつくって想像したい 敗戦を予感させた?73年前の「きょう(8.12)」の新聞

2018年08月12日 03時00分 更新

記者:福間慎一


  • ヤフーの18階受け付けエリアでは「戦争と地方紙」のテーマで本紙を含む4紙の戦時中の紙面や、戦後の「再編集」紙面が展示されている

  • 1945年8月12日付の西日本新聞。敗戦直前の状況を「最悪事態」と表現している

 今からちょうど73年前の1945年8月12日。西日本新聞の一面を見て、当時の読者は少し戸惑ったかもしれない。

 トップ記事の見出しは<正しく国体を護持 守り抜かん最後の一線 最悪事態に信念揺るがず>だった(読みやすいように句読点や仮名遣いを直しています)。記事の出だしはこうだ。

 <今やわが民族ならびに国民の直面しつつある事態が、●に空前の最悪を●●たることは既に何人も認めるところである>
(●は判読できず)

 長崎に原爆が投下され、ソ連軍が満州に侵入した8月9日以降も、本紙は太平洋戦争を「勝ち戦」として報道していた。<最悪事態>という言葉を使った12日付はその雰囲気とは少し違い、3日後に迫った敗戦の報を予感させ、その後の苦難への覚悟を求めるような紙面だ。

 記事の数行先には、こういう記述もある。

 <今更慌てることがあったら、これは最初から生きるか死ぬか、喰うか喰われるかの戦争を口先だけで言って実際には覚悟していなかったことになる>

□  □  □

 戦争の記憶をどうつないでいくか。先日、東京・紀尾井町のヤフー本社で開かれたイベント「未来に残す戦争の記憶〜戦争と地方紙〜」に話者の1人として参加した。

 戦後70年だった3年前に取り組んだ、福岡大空襲を現在の視点で再現した「再編集紙面」について話した。
(再編集紙面はこちらのビューワーで見ることができます)

 1945年の紙面では報道統制の中、<重要施設ほとんど被害なし><大福岡は健在なり>などの見出しで、福岡市中心部が壊滅的な打撃を受けた空襲の実相は報じられていなかった。

 イベントで話したかったのは、当局の報道統制の厳しさはもちろん、それに応じたメディアが、積極的に「空気」を醸成していく恐ろしさだ。

 当時は空襲時に「炎から逃げるな、消せ」という指導が徹底されていた。再編集紙面を作った際に印象に残ったのは、自宅の床下などに掘るよう指導されていた「待避壕」という言葉だ。

 校閲の担当者から「『退避壕』ではないか」と指摘されたが、当時、焼夷弾は「退く」ものではなく、「待機して」敢闘すべきものだとされていた。今では信じられない感覚だが、それがごく自然だった。

沖縄戦新聞」について解説する琉球新報・玉城記者。会場には約80人が訪れた
福間慎一(ふくま・しんいち)<br />
福岡市生まれ、2001年入社。文化部、長崎総局、本社報道センターなどで記者。1年間のヤフー出向を経て17年9月からqBiz編集長。特技は居酒屋のメニューを指1本でくるくる回すこと。









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