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「背伸びしない」からこその魅力 だざいふ遊園地よ、永遠なれ

2018年10月07日 03時00分 更新

記者:福間慎一


  • 遊園地のはずれにある、1952年の児童遊園記念碑を案内する今村光江さん(左)と益田啓一郎さん(左から2番目)

  • (本社資料から)1952年8月に撮影された児童遊園。だざいふ遊園地の原点だ

  • 開業当時から走る唯一の遊具、子ども汽車の「弁慶号」

 園のはじまりは「御神忌1050年大祭」が催された1952年。「天神様をまつる境内に、子どもも楽しめる場所を」と境内にブランコなどの遊具を備えた「子供天国」が誕生。その後の57年、西鉄などの出資で「だざいふえん」として開園した。園内の一角に、大祭記念児童遊園の碑が残されている。

 散策していつも思うのは、その急な傾斜。現在制作が進む西日本鉄道の110年史の編さんに携わり、5月に私が執筆した反省だらけの「かしいかえん」コラムでもお世話になった近代史研究家の益田啓一郎さんによると、丘陵地にあった段々畑を7段の平地に整えたという。

 1957年の開業当時から唯一運行を続けるのが、こども汽車「弁慶号」。還暦を迎えた昨年、車体はちゃんちゃんこにちなんだ赤色に塗られた。

 この弁慶号は、記念すべき開園を伝える本紙記事にも登場していた。1957年10月14日付の西日本新聞の福岡市内版にはこうある。

 <営業をはじめた太宰府の“だざいふえん”は行楽日和に恵まれて初日からどっと三千人余のかわいいお客を迎えた。ブランコやスベリ台も子供たちで鈴なり、呼び物の子供汽車にはずらりと行列するにぎわい。>

 「本当に、ずらーっと並んでましたよ」。開園2カ月前、17歳で入社し、47年余にわたって園で働いた今村光江さん(78)は振り返る。独学で経理を覚えて園の堅実経営に務め「生き字引」と呼ばれてきた。

 その弁慶号の線路の土手は従業員たちで手作り。今も残る小さな鉄橋にハスを浮かべて風情を出し、トンネルの内部を虹色に塗ったという。

 来園者のピークは1974年度の64万人。今村さんは「一番多いときは、幼稚園から中学校まで、34校の生徒が同時に来たときがあった」と証言する。従業員は子どもたちの頭をかき分けて進まなければならなかった。

 娯楽の多様化や少子化を背景に、来園者は2004年には13万人まで減った。天候に左右されるのも遊園地の宿命。「天気が悪くなってお客さんが来なくて、仕込んだカレーがたくさん余ってしまって。社員が自分たちでお金を払って、1週間食べ続けたこともあるんですよ」と今村さんは笑う。近年はリニューアル効果もあり客足は少し上向き。17年度は15万人に増えた。


天満宮境内の厳かな雰囲気から一転、子どもたちを「アゲる」だざいふ遊園地の入場門
入場門の左側にたたずむ「じゃじゃ丸」に駆け寄る子ども
最も人気なのはトレインコースター。遊園地は両側を山に囲まれた丘陵地にある
電動の遊具が並ぶコーナー。「ワニワニパニック2」は一番奥で稼働を続けている
本社資料から)九州初登場した、だざいふえんのゴーカート=1963年7月撮影
今年5月末に登場したメリーゴーラウンド。この姿に見覚えがある人も少なくないはず…!
福間慎一(ふくま・しんいち)<br />
福岡市生まれ、2001年入社。文化部、長崎総局、本社報道センターなどで記者。1年間のヤフー出向を経て17年9月からqBiz編集長。特技は居酒屋のメニューを指1本でくるくる回すこと。









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