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平成とともに産声を上げた三つのビル、それぞれの運命 【新企画】福岡流通戦争モノ語り(1)

2019年01月08日 03時00分 更新

記者:福間慎一


  • 現在は天神ロフトになったビルは、ユーテク、ジークスとしての歴史もある。ギンギラでは「同一ビルで最多のかぶりもの」の数という

  • 1992年5月5日、ユーテクをめぐる混乱を伝える本紙記事。<安売り合戦が売り物の秋葉原商法は地方でも通用する」との発想から生まれた福岡進出だったが、予想以上の売り上げ不振がまず第一の誤算だったようだ>とある

      
ユーテクよ、安らかなれ
      

 ソラリアプラザとイムズの開業を控えた1989年3月11日。「第2次天神流通戦争」の火ぶたを切ったのは、屋上に赤い看板を掲げた8階建てのビルだった。

 キャッチフレーズは“九州の秋葉原”。「ユーテクプラザ天神」は、101店が入居する電器専門店街としてオープンした。

 第2次流通戦争で最初に誕生したユーテクが、最初に脱落してしまったんですよね…。福岡に秋葉原を作ろう、というコンセプトが、うまくいかなかった。秋葉原といえば、客と交渉したり、にぎやかな市場のような雰囲気。でも、そうはなりませんでした。

 ソラリアとイムズが客足を伸ばす中、ユーテクは売り上げ不振に苦しんだ。ビルを所有する第一生命に家賃が支払えず、訴訟に発展。1992年7月15日の本紙は<「一番大きな誤算を招いた要因は大手家電量販店、ベスト電器の入居」>という、当時のユーテク運営会社社長のコメントを紹介した。そしてこう続ける。<テナントは零細業者が多い中で、豊富な資金、品ぞろえを誇るベスト電器がプライスリーダーとなり、家電では秋葉原商法が影を潜めてしまったというのだ>

 ユーテク撤退後の1994年、ビルはCDや本、靴などホビー関連の専門店を集めた「ジークス天神」に衣替え。男性をターゲットにした青い看板のジークスは04年、女性向けのファッションブランドを導入したオレンジ色の看板に変わりました。それでも苦戦し、最後はロフトになって、ついに成功しました。ロフトを入れたのはビルを所有する三菱地所。第2次流通戦争の「戦友」でもあったイムズを建設した三菱地所が結果的に、この施設を助けることになったのは感慨深いですね。

 ユーテクプラザが家電専門店街としての道を閉ざされた後、ベスト電器もヤマダ電機などの新興勢力との争いで低迷し、家電業界の再編が進んだ。

 今、ロフトに近い西鉄の高架下にはビックカメラが進出して、ある意味で家電の集積地になりました。「秋葉原を」の旗は、ビックカメラに受け継がれたと言えます。ユーテクはもしかしたら、時代を先取りしすぎていたのかもしれません。

 それでも、3施設の誕生は天神に大きなインパクトを与えた。このころから、天神に集まる若者は福岡県内だけにとどまらなくなる。若者たちは福岡と九州各地を結ぶJRの特急や高速バスの名前を冠して「かもめ族」「つばめ族」「フェニックス族」と呼ばれた。

 第2次天神流通戦争は、天神を「福岡の天神」から「九州の天神」にスケールアップさせました。その立役者に、ユーテクもきっと入っていたと信じています。ちなみにギンギラはジークス開業のCMに出演。劇団で導入したパソコンもジークスで買いました。それでも公演では「国体道路を(南に)越したら天神じゃない!ジークス天神じゃなくて、ジークス『南天神』だ!」というセリフが、お客さんの共感を得ていました。



あけましておめでとうございます!天神を彩るビルのかぶりモノに囲まれた大塚ムネトさん
警固公園から見上げたソラリアプラザ。建物の写真は、ギンギラのかぶりモノと実物をコラボレーションさせていきます
ソラリアプラザの落成式の様子を伝える1989年3月23日付の西日本新聞夕刊
イムズ。金ぴかのビルと吹き抜けが大きな話題を集めた
当時は珍しかった吹き抜け高層ビルだったイムズとソラリアに消防局が防災指導も行った(1989年5月12日付の本紙夕刊)
971年6月15日、ショッパーズプラザの開店を伝える本紙。<受けて立つ地元側も必死。(中略)ターミナルの岩田屋デパートでは「まあ、初日のバカ騒ぎですよ」と冷静さを装っていたが、開店時は平日の4,5割の減少ぶりだった>とある
かつてのダイエーショッパーズプラザは今、イオンになっている
天神の主な商業施設









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