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平成とともに産声を上げた三つのビル、それぞれの運命 【新企画】福岡流通戦争モノ語り(1)

2019年01月08日 03時00分 更新

記者:福間慎一


  • 971年6月15日、ショッパーズプラザの開店を伝える本紙。<受けて立つ地元側も必死。(中略)ターミナルの岩田屋デパートでは「まあ、初日のバカ騒ぎですよ」と冷静さを装っていたが、開店時は平日の4,5割の減少ぶりだった>とある

  • かつてのダイエーショッパーズプラザは今、イオンになっている

  • 天神の主な商業施設


      
”第1次”にはせる思い
      

 平成とともに始まった「第2次天神流通戦争」。その先駆けとなった「第1次」の戦いは1970年代に繰り広げられた。

 博多大丸が呉服町から天神に移転、翌年には天神コア、天神地下街、ビブレ(当時はニチイ)、岩田屋新館が相次ぎ開業した。

 幼かったころ、日曜日に家族全員で来る天神は遊園地のようなものでした。「世界のは虫類展」、屋上のプレイランド、レストランで食べて、おもちゃ売場で遊び…。実はお金はあまり使いませんでしたが、商品との出会いがあった。まだ、当時は商品をみることがすでに「コト体験」でした。まだ高度成長期から間もない時代、消費者にとっても「モノが豊富にあること」が「楽しいコト体験」だったのではないでしょうか。

 終戦後に発足した新天町商店街から「黒船」と恐れられたのは、71年にダイエーが開店したショッパーズプラザだった。

 新天町は86の店舗がショッパーズの開店日に合わせてセールを打ちました。新天町60年史の言葉が印象的です。「86作戦、捨て身の特価奉仕」。かなり覚悟を決めています。これぞ「戦争」だったんだなあと。

 当時、天神の商業集積地と言えば新天町と岩田屋。ダイエーは天神にとって、今で言う大型ショッピングモール的な扱いでした。天神の中で「都心vs.郊外」が行われていたような構図でした。

 ダイエーを率いた故・中内㓛氏は福岡に並々ならぬ情熱をぶつけた。今は福岡にその姿を見ることがなくなったオレンジ色のマーク。次回はその栄枯盛衰と「遺産」をたどりたい。

あけましておめでとうございます!天神を彩るビルのかぶりモノに囲まれた大塚ムネトさん
警固公園から見上げたソラリアプラザ。建物の写真は、ギンギラのかぶりモノと実物をコラボレーションさせていきます
ソラリアプラザの落成式の様子を伝える1989年3月23日付の西日本新聞夕刊
イムズ。金ぴかのビルと吹き抜けが大きな話題を集めた
当時は珍しかった吹き抜け高層ビルだったイムズとソラリアに消防局が防災指導も行った(1989年5月12日付の本紙夕刊)
現在は天神ロフトになったビルは、ユーテク、ジークスとしての歴史もある。ギンギラでは「同一ビルで最多のかぶりもの」の数という
1992年5月5日、ユーテクをめぐる混乱を伝える本紙記事。<安売り合戦が売り物の秋葉原商法は地方でも通用する」との発想から生まれた福岡進出だったが、予想以上の売り上げ不振がまず第一の誤算だったようだ>とある









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