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消えた「ファンタジ―」と残った心意気 ダイエーが押した福岡とギンギラの背中 福岡流通戦争モノ語り(2)

2019年01月15日 03時00分 更新

記者:福間慎一


  • ショッパーズプラザと専門店街。かぶりモノは、二つをつなぐ渡り廊下の部分にちょうど顔が出るようになっている

  • 1990年、中内氏の球団への期待をうかがわせた「130勝だ」のテレホンカード

  • ギンギラ太陽'sが2013年にキャナルシティ劇場で上演した「スーパーマーケット三国志 決定版」のチラシ。「ユニード」「寿屋」「ダイエー」が、定価を守るメーカー王に対して、価格破壊の流通革命を挑んだモノ語り

  • かつてファンタジードームが計画された場所に昨秋開業したマークイズ福岡ももち。湾曲した外観が、後方のドームとどこかマッチしている

      
壮大な取り組みの”原動力”は
      

 (大塚)ダイエーが福岡でやった壮大な取り組みを振り返ると、中内さんの「心意気」による部分が大きかったのではと思えてきます。

 象徴的なのが、開閉式にしたドームの屋根です。これは、福岡にできるドーム球場を「日本初の開閉式ドーム球場にして世界に誇る球場にするんだ」という、中内さんの心意気で誕生したそうです。ただし、開閉式にするためには、普通の屋根を作るよりもさらに費用がかかります。一回開閉するだけでも経費がかかり、先々のメンテナンスも大変です。

 ちょうど当時、全国にドーム計画がたくさんありました。どこの計画でも「開閉式にしたいけど、費用が・・・」と悩んでいました。各地の関係者は、開閉式を実現した福岡にヒントを求めて視察に来ましたが、「数字の積み重ねではなく、中内さんの心意気だ」との答えに、「うちの自治体では無理だ」とがっかりして帰ったそうです。「普通の行政、企業ではできないことを実現した」――。そんな話を聞くと、ぐっとくるものがあります。そこまで福岡のために行動してくれたんだなと。

 実は、福岡ドームはギンギラ太陽’sの「創業地」でもあったという。

 (大塚)第2次流通戦争を題材に始めた私たちは当時、公のステージを持っていなかった。ですが、福岡ドームにスポーツバーがあり、オフシーズン中の舞台にと声をかけてくれたんです。しかも、私たちがやったのはユニードとダイエーの生々しい合併話。それでもドーム関係者が「本当のことだから」と怒るどころか笑って許してくれたんです。

 スポーツドームの完成を伝えた1993年3月31日付の本紙記事の見出しは「九州にレジャー新時代」だった。ドームではその年のうちにマドンナとマイケルジャクソンがコンサートを行い、超大型コンサートは今や日常的な風景になった。

 ダイエーはその後、96年に誕生するキャナルでも核テナントとして入居。今やインバウンドの象徴とも言える複合施設の要を担った。そして福岡で30周年を迎えるホークスは「常勝軍団」の貫禄を身にまとっている。

 (大塚)中内さんと松下幸之助さんが対談した話、というのが有名ですよね。松下さんが「ナショナル(現・パナソニック)」というNB(ナショナルブランド)をつくっているときにダイエーがPB(プライベートブランド)で安いモノを作っていた。「商売の王道を歩みませんか」と言った松下さんに、中内さんがこう言いました。「(私は)覇道を歩みます」

 そして中内さんは、「価格破壊の流通革命」という覇道を突き進みます。ナショナルブランドのメーカーと戦い、国の規制にもへこたれず、ついには「デパートを抜いて小売業日本一」という流通王にまで上りつめました。しかし、革命は革命によって倒されます。

 冒頭の写真で中内氏が一人歩いていた場所には昨秋、「マークイズ福岡ももち」が開業、連日にぎわいを見せている。子どもが遊べる広場や、階段状のベンチスペースなどゆったりとした空間は、日常の延長線上で楽しめる空間だ。

 あのオレンジのマークを福岡の街で見かけることはもうない。しかしダイエーが福岡で挑み、残したモノは、次の時代にも受け継がれている。

1992年9月、建設中の福岡ドームを背に歩く、当時球団オーナーの中内氏
今や福岡を代表する風景の一つとなったドームとホテル。かぶりモノは22年前に製作された最古参たちで、公演では修理しながら使用している<br />
幻となった「モノレール計画」
ダイエーが温泉を掘り当てたことを報じる紙面
ダイエー初の赤字は衝撃的なニュースとして報じられた









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