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“旧官庁街”が育てた博多名物もつ鍋 福岡・天神で新生飯店とリレー営業 楽天地の店主父子に聞く

2019年01月10日 10時46分 更新

記者:木村貴之


  • 楽天地天神本店があるビル。新生飯店とフロアをシェアして同居し、昼と夜で店が変わる“リレー営業”を続ける=福岡市・天神

  • もつ鍋専門「楽天地」店主の水谷寿さん(右)と、自称「二代目」の長男崇さん。父子は「もつ鍋で福岡を盛り上げたい」と意気込む

  • 楽天地のもつ鍋(2人前)。ニラの山盛りがトレードマークで、シメのちゃんぽんは新生飯店との同居から生まれた?

 福岡市・天神の路地裏にある古いビルをシェアし、昼と夜で店が入れ替わる“リレー営業”を続ける中華料理店「新生飯店」ともつ鍋専門店「楽天地」。両店とも多くの常連客を抱える人気店で、とりわけ楽天地は「もつ鍋を博多の名物料理に育てた店」とも称される。リレー営業を通じて、楽天地は博多名物をどう育ててきたのか。店主の水谷寿さん(75)と長男崇さん(48)に聞いた。

  1977年。楽天地はどんな経緯で創業した?

 (崇) 父はもともと内装の職人だったが、料理好きが高じて飲食店を開くことにした。戦時中の創業でうちより古い「万十屋」(福岡市早良区)さんのもつ鍋は鉄板鍋を使ったすき焼き風。好きな鍋料理をヒントに今の寄せ鍋風のもつ鍋を考案して提供すると、お客にずいぶん珍しがられた。開店早々から人気を集めたが、わずか15坪(約50平方メートル)の店舗はすぐ手狭になり、移転を決めた。

  78年、天神1丁目のビルに移転し、新生飯店とのリレー営業がスタート。移転早々に繁盛したとか。

  天神はかつて「官庁街」だった。福岡市役所のほか、移転前の福岡県庁や県警本部もあった。役所勤めの人たちに新生飯店の常連は多く、やがてうちにも訪れるように。うちのもつ鍋を「安くてうまい、珍しい鍋料理」と気に入ってくれ、常連になった。職場に限らず、県内外の関係先も連れてご来店。そこから口コミで広がったみたい。

  シメのちゃんぽんの発祥説が面白い。材料の貸し借りはよくあること?

  20〜30玉は借りた。翌日、新生飯店さんの仕入れ先に電話してちゃんと返した。相部屋同士で持ちつ持たれつ。あちらでキャベツが足りなくなった際はうちのを使ってもらった。

  90年代初頭、もつ鍋が全国的なブームに。92年の新語・流行語大賞で「もつ鍋」が銅賞を受賞した。

  バブル経済の反動もあって、素朴な料理が受けたのだろう。「オヤジギャル」という言葉が先に流行し、居酒屋などに若い女性客が急増。もつ鍋の主役・ホルモンを抵抗なく食べられる女性が増えた。もつ鍋はコラーゲンが豊富で、一緒に野菜をたっぷり取れることから、女性に見直されたのでは。うちも以前は95%が男性客だったけど、やがて男女半々になった。

  ブームの折、店舗間競争も激しかったのでは。

  もつ鍋の店は、福岡市内だけでも100は超えた。と言ってもブームに乗じてメニューに加える店が増えただけ。ブームはそう長くは続かず、下火になると30店前後に減った。もつ鍋専門店は生き残ったが、その後、思いがけない逆風で専門店は危機に陥る。

  専門店が苦戦するほど思いがけない逆風とは。

  2001年に起きたBSE(牛海綿状脳症)問題。食肉業界が大打撃を受け、外食産業にも影響が及んだ。風評被害。あれはきつかった。何しろ客が入らない。閉店に追い込まれる店が相次ぎ、うちも「もつ鍋専門店」の看板を下ろして居酒屋に路線変更することも考えたが、我慢して我慢して何とか踏ん張った。

〈写真上〉新生飯店の店主足立楽友さん(左)と妻英子さん〈写真下〉店舗は楽天地天神本店とビルに同居し、リレー営業を続ける
新生飯店の看板メニュー「皿うどん」(右)と「ちゃんぽん」は、楽天地のもつ鍋と併せ、天神の庶民の味として親しまれる
楽天地が昨年末に新規出店した「天神大名店」。1月中旬から楽天地初のランチ営業も始めるという









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