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昼は中華「新生飯店」、夜はもつ鍋「楽天地」 福岡・天神で“リレー営業”40年 都心再開発の片隅に残る「昭和」

2019年01月10日 11時00分 更新

記者:木村貴之


  • 昼は「北京料理 新生飯店」、夜はもつ鍋専門店「楽天地天神本店」として“リレー営業”を続ける飲食ビル=福岡市・天神(撮影・木村貴之)

  • 新生飯店の看板メニューの「皿うどん」(上)と「ちゃんぽん」。ともに値段は消費税導入の平成元(1989)年から変わらない580円(税込み)

  • 〈上〉ニラの山盛りがトレードマークの楽天地のもつ鍋〈下〉新生飯店との同居で生まれたというシメのちゃんぽん

“シメちゃんぽん”の発祥説も

 福岡市・天神に古い飲食ビルがある。昼と夜で「北京料理 新生飯店」ともつ鍋専門店「楽天地天神本店」が入れ替わり、一方は皿うどんとちゃんぽんが看板メニューの中華店、もう一方は山盛りニラが名物のもつ鍋店としてにぎわう。約40年続く「リレー営業」。ビル周辺では「天神ビッグバン」が始動し、都心再開発の勢いが増すが、常連客の願いはただ一つ。昭和に誕生し、平成を生き抜いた「庶民の味」が、新しい時代も続いてほしい―。

 商業ビルやオフィスビルが立ち並ぶ天神1丁目の路地裏に、ひっそり立つ5階建てのビル。鉄骨造りだが、1階出入り口は観音開きの木製ドアで、日中でも薄暗い中、「新生飯店」と「楽天地」の店名の入った電光看板がともる。ここだけ「昭和」の雰囲気だ。

 新生飯店は1958(昭和33)年、天神ビブレの前々身となる因幡町商店街の南側(現イムズ付近)で創業。60年代前半、現在のビルに移った。楽天地は77(昭和52)年、天神4丁目のダイエーショッパーズ福岡店(現イオンショッパーズ福岡店)裏のビル地下1階で開業。すぐに人気が出て店舗が手狭になり、移転先を探す中で新生飯店とのシェア話が浮上し、翌78年に移った。

     ◇     ◇

 新生飯店の店主、足立楽友さん(65)によると、ビルは地元洋品店「ハトヤ」の倉庫だった物件で「築50年は超えるやろ」。当初は全階を使っていたが、同居を機に新生飯店が午前11時〜午後5時に1〜3階を、楽天地が午後5時〜翌日午前0時に2〜5階を使用。1階出入り口と2、3階は共有だ。楽天地店主の水谷寿さん(75)は「家賃も折半。経済的たい」。

 飲食約4千店が加盟する福岡県料飲業生活衛生組合連合会(福岡市)は「こんな営業スタイルの飲食ビルは珍しい」。同県宅地建物取引業協会(同)も「ルームシェアの元祖と呼べそう」と驚く。

 昼の客を夜へ、夜の客を昼へとつなぎ、共存共栄を誓った両店。同じビルで店を営むことが、双方に思わぬメリットを生んだ。

 新生飯店の創業者は、足立さんの父で中国出身の劉梴瑞(りゅう・えんずい)さん。神戸中華街で働いた経験を生かし、コース料理やフカヒレなど高級メニューも楽しめる北京料理店として出発した。劉さんが65年頃に病死後は、母靖子さん(2014年没)が店を守り、71年から足立さんも働くようになったが、楽天地とのシェアを機に、昼夜営業から昼に特化した中華店に路線を変更。皿うどんなど当時から客に好評で素早く提供できる品にメニューを絞り込んだ。「看板の『北京料理』は昔の名残。今はちゃんぽん屋だけんね」と足立さん。

 一方、楽天地。ビルに移って間もないころ、水谷さんを悩ませたのがもつ鍋のシメだった。うどん玉は伸びてふやけ、雑炊は手間が掛かったという。ある晩、無人の新生飯店1階調理場から、冷蔵庫にあったちゃんぽん麺を拝借して試すと、常連客は大喜び。もつ鍋のシメにちゃんぽんの定番誕生には諸説あるが、「うちが発祥やろ」と水谷さんは振り返る。


「北京料理 新生飯店」店主の足立楽友さん(右)と妻英子さん。「天神の街は猛スピードで変わり、今後も変わる―」
もつ鍋専門店「楽天地」店主の水谷寿さん(右)と長男崇さん。「新生飯店とのリレー営業は続けたか。お客も望んどるし」
新生飯店と楽天地が同居するビルの隣で進む「天神ビッグバン」第1号の再開発ビル建設工事=昨年12月下旬、福岡市・天神









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