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本館新館Zサイド…天神の「盟主」岩田屋、波乱の歩みと“勝利の方程式” 福岡流通戦争モノ語り(3)

2019年01月25日 03時00分 更新

記者:福間慎一


  • かぶりモノもワイドな現在の西鉄福岡(天神)駅のターミナルビル。改札口が南に動いたことで、人の流れも変わった

  • 岩田屋の本館と新館売却検討を伝える1999年6月22日付の本紙朝刊

      
移転で道を切り開いた歴史
      

 時代は戻って平成。岩田屋は満を持したZサイドがふるわない中、翌年にはエルガーラと福岡三越がオープンした。半径200メートルに三つの百貨店がひしめく天神地区の百貨店の売り場面積は、一挙に2・7倍に。「第3次流通戦争」が表面化していた。

 厳しい戦いを繰り広げる岩田屋には、過酷な環境が追い打ちをかけた。西鉄福岡駅の改札口が南側に50メートル移ったことで、人の流れが変わり、さらに消費税率が 3%から5%に引き上げられた。

 1997年2月期、98年2月期、99年2月期と3期連続で経常赤字を計上。早期退職や体育館の売却などを進めたが、事態は好転せず、ついに99年夏、本館と新館の売却方針を決めた。99年8月18日付の本紙は<経営再建に向けついに最後の「切り札」を出すことを決めた>と伝えた。

 (大塚)もう岩田屋ってダメじゃないか。そんな「廃業」の噂も出た時期でした。売却方針が伝えられたとき、テレビ局から取材を受けました。「本丸を売ったらダメ」というコメントを期待されていたようですが、私は「岩田屋は、ここ一番の大勝負では移転することで勝利を手にしている。だから、これは勝利の方程式です」と答えました。結局、私のコメントは使われませんでした。

 (大塚)岩田屋は呉服店時代に侍の時代が終わりを迎え、城下町の福岡から博多へ移りました。そして昭和になって、新たな可能性を秘めた天神へ移ってきたんです。

 岩田屋勝利の方程式――。ギンギラらしい見立ての源流は、99年11月23日付の本紙の<戦国時代の山城 説明版作成>という小さな記事にヒントがある。記事にはこうある。

 <(当時の城主)小田部鎮元の重臣だった中牟田紀伊守の子孫にあたる、岩田屋の中牟田喜一郎会長も支援した>

 (大塚)去年、西新版ギンギラを作った時にこの荒平城の歴史を知り、「方程式」にようやく合点がいきました。中牟田家のご先祖は家老の「中牟田 紀伊守元正 ( きいのかみもとまさ )」。この城は籠城で滅び、中牟田家は逃げ延びて侍を辞めて商人になりました。

 (大塚)これは作家としての想像ですが、岩田屋の「ここ一番で動く」というのは、失敗に終わった籠城策が反面教師として残っているのではないか、そんな風に思えるんです。岩田屋が天神交差点の本店にこだわっていたら、本当に危なかったと思います。

 岩田屋は本館売却後、伊勢丹の支援を受けて廃業を免れた。一方の三越は2008年、その伊勢丹と経営統合。そして10年、伊勢丹傘下の岩田屋はかつてのライバル・福岡三越と統合し「岩田屋三越」に。合従連衡を経て、一度は断念した天神のターミナルデパートに再び関わることになった。

 (大塚)かつて「買い物下手」だったZサイドは今、頼もしい本館として生まれ変わり、隣で新たに新館となった夫ビルと「連絡通路で手に手を取って」仲良く商売をしています。さらに「岩田屋三越」となって、再び駅ビルとなりました。

 (大塚)さびれていた天神の未来を信じて出店した岩田屋。ライバルと商売合戦を繰り広げ、戦争も乗り越え、廃業の危機を本館売却と移転で乗り切り・・・。再び地域一番店として天神を支える岩田屋は、ギンギラのモノ語りに欠かせない大切なキャラクターです。

 その岩田屋を苦しめ、「第2次」をはるかにしのぐ激しさだった第3次流通戦争。次回は、岩田屋のライバルたちの戦いに、あらためて焦点を当てたい。



今は岩田屋本館(左)になったZサイドと、新館(右)のかぶりモノを手にする大塚ムネトさん。Zサイドは後方がロールアップしたおしゃれな髪形のようなデザインで「優雅さ」を強調した
岩田屋Zサイド(左)と新店舗建設予定地(2002年2月)
岩田屋と福岡駅(1936年)。後方には時計台が目印の九州電灯鉄道(後に合併して西鉄)の本社ビルがある
岩田屋開店の1936年10月7日の九州日報朝刊。流通戦争の「エピソード0」を伝えている
ギンギラの代表作「天神開拓史」より。左の「岩田屋呉服店夫婦」が博多から天神への進出を決意するシーン。右は玉屋と川端商店街









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