ようこそ ゲスト様

qBiz 西日本新聞経済電子版

フクオカ流通戦争

一覧ページへ

世紀末…「ごりょんさん・玉屋」との別れ、そして西鉄ソラリア計画の完成 福岡流通戦争モノ語り(5)

2019年02月20日 03時00分 更新

記者:福間慎一


  • 閉店を惜しむように福岡玉屋のプレートを触る婦人客=1999年7月15日

  • 玉屋廃業と同じ年、1999年に開業した福岡交通センタービル(現・博多バスターミナル)。一見地味なキャラだが、ギンギラのステージでは重要な役回りを演じる

  • 玉屋廃業翌年の2000年10月20日朝刊。同日、「九州初の本格アウトレットモール」をうたうマリノアシティ福岡が開業し、見出しは「流行の天神VS安売り西部」と伝えた

 玉屋の人情味あふれる「博多らしさ」は7月15日の閉店の間際に、最高潮に達した。その前日、博多祇園山笠が玉屋を表敬。過去1年間に亡くなった山笠の功労者宅を表敬する追善山(ついぜんやま)に匹敵する最大級の敬意の表し方で、企業に対しては異例の措置だった。そして最後の日の店内の様子は、こう記事に残されている。

 <閉店予定時刻の午後七時すぎから、店内には「蛍の光」が流れた。しかし、売り場を離れない買い物客たち。七時半すぎから正面玄関のシャッターがゆっくりと下り始め、田中丸社長ら経営陣が再び頭を下げた。バラの包み紙を手に最後の客が出て、シャッターが下りたのは午後八時十八分だった>
 
      
博多駅にも「変化」の足音
      

 1999年はソラリア計画の完成と玉屋の廃業という「ディープインパクト」だけではない。3月には博多リバレインが開業。そして商業集積が進む天神の傍ら、博多井筒屋が孤軍奮闘していた博多駅にも5月、「福岡交通センタービル(現・博多バスターミナル)」が鳴り物入りで開業した。JR博多シティの開業まではまだ遠い月日を要するが、商いの街としての博多復活の足音でもあった。

 (大塚)最新流通シリーズ「天神ビッグ・バン!バン!バン!」では、「博多の最前線で戦う西鉄戦士」キャラとして交通センターが登場しています。バス利用者の利便性のために到着フロアーをJR博多シティに接続、共存しつつ戦いを繰り広げます。

 売り場面積はかつてないほどに拡大した天神だが、2000年代に突入すると、福岡都市圏に相次ぎ進出した郊外型ショッピングモールによる包囲が進んだ。さらには、爆発的な勢いで売り上げを伸ばしていった「見えない敵」ネットショッピングにも押され、百貨店業界は長い停滞期に入る。

 流通を描いてきたギンギラにとっても厳しい時期。しかしその苦境が、作品の幅をさらに広げることになった。次回は「流通」から少し離れた物語へ。



※1925年、玉屋開業当時のパンフレットに記載されている館内案内図。エレベーターを備え、地下に食品売場、最上階に食堂など現在のデパートとほとんど変わらない構成だ(郷土史研究家の益田啓一郎さん提供)

バラで彩られた福岡玉屋のかぶりモノ。川端商店街をはじめ、博多の街と人に愛された74年だった。廃業後に、玉屋跡に開業した商業施設「ゲイツ」も開業からもう10年超。中洲の風景になっている
1951年、福岡玉屋デパート屋上の動物園で暑さにうだって行水するゾウと、水をかける子どもたちの笑顔
ゲイツの入り口にあるライト。玉屋で使われていた物が引き継がれているという
1999年8月、ギンギラの西鉄ホール第1回公演のポスター。大丸と玉屋を描いた「女ビルの一生」など豪華3本立てだった
ギンギラの「ホームグラウンド」となった西鉄ホールのオープンを伝える99年4月24日の記事
玉屋最終日を伝える99年7月16日付の本紙記事。別れを惜しむ客が帰らず、閉店を延長した様子が記されている









特集 qレポートの最新記事



そもそもqbizとは?

Recommend

ランキング

Recommend

特集 最新記事

コラム 最新記事