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「博多通りもん」が追求する「ベター&ディファレント」

2014年06月11日 03時00分 更新

記者:高田仁氏


  • 高田仁氏(たかた・めぐみ) 1967年生まれ。九州大学工学部卒業後、大手メーカーに勤務。その後、九州大学大学院に進学し修士課程修了。コンサルタント会社を経て、1999年に(株)先端科学技術インキュベーションセンター(CASTI、現東大TLO)の経営に参画、2002年まで同社取締役副社長兼COO。03年より九州大学ビジネス・スクール助教授。同年10月から10年まで九州大学知的財産本部技術移転グループリーダーを兼務。05年から10年まで総長特別補佐。また、09年から翌年まで米国MIT(マサチューセッツ工科大学)客員研究員、その後、九州大学ロバート・ファン/アントレプレナーシップ・センターの設立に参画し、10年より同センター複担。14年九州大学ビジネス・スクール教授。

高田仁氏(九州大学ビジネス・スクール教授)

 博多駅や福岡空港、はたまた高速道路のサービスエリアで、しばしば「黄色い一角」が目に飛び込んでくることがあるだろう。そう、明月堂(福岡市)の「博多通りもん」の売り場だ。特徴的な黄色い包装紙でパッケージされた箱が積み上がり、観光客や出張帰りのビジネスマンが次々に購入していく。

 この「博多通りもん」の売れ行きは桁違いだ。菓子業界では一日1万個売れればヒット商品と言われるが、「博多通りもん」は一日で20万個以上を売り上げることも多い。

 この菓子業界のお化け商品ともいえる「博多通りもん」のヒットまでには、同社の長期にわたる苦労とそこで培われた周到な戦略がある。

「ベター&ディファレント」 他社との差別化

 明月堂の創業は1929年。当時は、煎餅の生地を飴に巻きつけたセル巻き煎餅が人気を呼んでいたそうだ。その後、1960年代には、高度成長とともに生活が豊かになり、進物などでカステラが贈られるようになったのだが、当時の専務・秋丸卓也氏(現会長)は「高級品のカステラを、もっと多くの人に食べてもらいたい」との思いで、一切れずつカットして包装したカッティングカステラを売りだしたところ大ヒットし、この売り方が全国に広がっていった。

 やがて、どこの家庭でもカステラを食べられる時代になったのだが、秋丸専務は「このままでは価格競争に巻き込まれるだけだ」と、九州で初めて焼き窯の設備投資を行っていたにも関わらず、大胆にもカッティングカステラを止める决断をした。その後、80年代半ばに「博多西洋和菓子」のコンセプトを確立し、様々な商品開発を続けたが、この間は生みの苦しみが続いたという。

 そんななか、ある日の社内会議で、「饅頭を欲しがるお客様がおられる」という報告をヒントに、今までにない新しい饅頭づくりが始まった。そこから3年をかけて、ようやく満足できる商品「傑作まんじゅう 博多通りもん」が1993年に完成したのだ。そして、現在の大ヒットに至る。

 同社の新商品開発の経緯を振り返ると、カッティングカステラからの撤退、「博多西洋和菓子」のコンセプト確立、今までにない新しい饅頭・・・、同社の経営判断の根底に貫かれているのが、「ベター&ディファレント」による差別化だ。

 HBS(ハーバード・ビジネス・スクール)のクリステンセン教授は、「イノベーションのジレンマ」と称して、成功している事業ほど陥りやすい罠について警鐘を鳴らしている。しかし、手中にある成功を手放してまで新たな道へと進む経営判断は、現実には極めて難しい。だが明月堂は、「ベター&ディファレント」のもと、自ら積極的に差別化をリードし、それが本流化すると、甘んじることなく次の差別化へと舵を切っている。自己変革が自らの行動原則にしっかりと織り込まれている点が、同社の競争力の源泉となっているのだ。

素人ゆえに成せる技 開発担当者の自由な発想

 「博多通りもん」の開発担当者(後に工場長を務める人物)は、菓子職人の枠にはまらない人である。

 機械工作や電気工事も何でもこなすこの人物は、縁あって明月堂に入社し、様々な商品開発に自由な発想で取り組んだ。その過程で、菓子の試作製造機を自分で作ってしまうほどだ。










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