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《移住の先達》食の街にひかれたシェフ 「原点」見つめ直す

2016年04月01日 03時00分 更新

記者:吉武和彦


  • 奥津 啓克(おくつ・ひろかつ)氏
    神奈川県小田原市出身。1972年8月生まれの43歳。高校を卒業後、辻調理師専門学校、同フランス校を卒業後、レストラン平松などを経て、2007年に福岡市で創作和食「手島邸」を開く。現在は水炊き「とり田」など4店を経営する。12年設立の「studio 092」社長

  • 福岡好きが高じ、福岡市の市外局番になぞらえた「092(オクツ)」Tシャツまでつくった奥津さん(左から2人目)

  • 水炊きスープを生かした「博多担々麺」の店の厨房に立つ奥津さん=福岡市

  • とり田の水炊き。朝仕入れた新鮮な鶏肉を味わえる

  • こだわりの水炊きスープ。食前に湯飲みで味わうのが博多流だ

  • 水炊きスープを生かして開発した「博多担々麺」

 奥津啓克さん(43)は、福岡市で水炊き店「とり田」など四つの店を営んでいる。もともと関東出身のフランス料理のシェフ。仕事で各地をめぐったが、福岡市だけ、「いつか住みたい」と思ったという。飲食店のレベルが高いことも理由だ。移り住んで12年。食の街、福岡で「挑戦したい」との思いは今、「福岡の魅力そのものになりたい」と”郷土愛”にも似た感情に変わっている。

■「ここに住みたい」

 初めて福岡市を訪れたのは、28歳のとき。フランス料理から日本料理に転向して2年。ある企業が出店する和食店のメニュー開発を任され、東京から2カ月間滞在した。

 これまで出店の仕事で関東や北陸などの都市を訪れた。しかし、なぜか、福岡市だけ「ここに住みたい」と思った。

 コンパクトな街のサイズ感。ゆったりしたリズム。しかし、田舎っぽさはない。東京の忙しい日常とは正反対の世界があった。

 「結婚して子どもができたら、福岡で暮らす」

 2カ月間のホテル暮らしで、そう思うようになった。

 飲食店のレベルも高い。「フラッと入った普通の店がかなりおいしい」。食の街、福岡で「挑戦したい」という感情も出てきた。

 3年後。31歳で結婚し、本当に福岡に移住した。東京の会社を辞め、出店を手伝った和食店に勤めた。

■成長を求めた転向

 神奈川県小田原市出身。実家は魚屋で、子どものころから料理が好きだった。

 中学生の時、あるシェフとの出会いが、料理の道を歩むきっかけに。

 親子ほどの年の差だったが、お互いに釣りが趣味で意気投合。高校生の時、そのシェフが自宅でフランス料理を振る舞ってくれた。あまりのおいしさに感激し、「シェフになりたい」と素直に思った。

 高校を卒業して、調理師専門学校へ。フランスにも留学して20歳で帰国。レストランひらまつ(東京)に入社した。

 憧れの世界は厳しかった。何百人分もの料理の仕込みや片付けに日々追われた。実力が物を言う。辞めていく同期生も少なくなかった。

 26歳で、シェフとして300人ものスタッフをまとめる立場になった。

 能力を認められたが、「もっと成長したい」との思いも強まった。フランス人シェフたちが「素晴らしい」と認める日本料理界へ転向した。それが、福岡暮らしへつながった。

■原点を見つめた街

 移住して3年。34歳で独立した。洋画家の手島貢氏(1900―74、久留米市出身)のアトリエで、完全予約制の創作和食「手島邸」を開いた。2年間の期間限定のつもりが、当たった。6年間続けたとき、ふと思った。

 調理の技術の高さや創作性が高く評価されたが、「自己満足ではないか」。

 料理とは何か。自問自答した。悩み抜いた末、たどり着いたのが、「永久のグルメ」。地元の人たちが、ずっとずっと長く地元を自慢できる料理を伝承することが、自分が目指す料理ではないか。

 2012年。博多の郷土料理、水炊き店「とり田」を福岡市・薬院に開いた。

 スープは朝仕入れた新鮮な鶏と天然の塩だけ。とろっとした味わい深さが話題となり、人気店に。スープをベースにした「博多担々麺」もヒットし、専門店も出店。グルメの芸能人も訪れるようになった。

 料理人として、原点を見つめ直した。福岡は、そんな街でもあった。

   ◇   ◇

 博多駅そばに4月21日開業する商業施設「KITTE(キッテ)博多」にも担々麺の店を出し、店は5店になる。16年末には、海外進出も計画している。










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