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「もう一度、『がおか』を選ぶ」 みずほ銀行頭取・藤原弘治氏(6月12日)

記者:竹森太一
「取材中に刺さった」一言

みずほ銀行頭取の藤原弘治氏
 筑紫丘高校時代は水球部(現在は廃部)に所属。国体の福岡県代表候補にもなった。道産子だけにスキーも得意で、冬季国体には3回出場したという。そんな「汗」は当時、西日本新聞の特集で取り上げられ、母親が切り取った記事のスクラップは今も実家(広島県尾道市)に残っているという(撮影・佐藤雄太朗)

 福岡、九州の応援団として、頼もしい存在と確信する。みずほ銀行の頭取に4月1日付で就任した藤原弘治氏(56)のことだ。

 生まれは北海道ながら、福岡が「ほとんど地元」という。6月12日、同行本店でのインタビューでは、30分間の予定時間をオーバーし、本業の将来ビジョンに加え、福岡、そして九州への思いを熱く語った。

⇒本業の話はこちら「九州でもウィンウィンの関係を」と語るみずほ銀の藤原頭取

 ■タモリさんと同じ中学高校

 中学2年のとき、父親の転勤で福岡市へ移り住んだ。そのまま地元の高宮中(南区)、筑紫丘高校(同)へ進んだ。その進路は福岡市出身のタモリさんと同じだ。

 筑紫丘高校は「がおか」の愛称で知られ、福岡都市圏の県立高校では修猷館高校、福岡高校と並んで“御三家”と呼ばれることもある。

 インタビューの終盤だった。藤原氏は手元からA4判の紙を一枚取り出した。「頭取自ら、高校のホームページから探してプリントした」(広報室)というのは、「がおか」の校歌の歌詞。藤原氏は漢文調で記されたサビを3番までそらんじた。

 「日本守護」《にっぽんをいざまもらむ(ん)》
 「日本開拓」《にっぽんをいざひらかん》
 「日本創造」《にっぽんをいざつくらん》

 「筑紫丘で得たことはやっぱり日本代表の心構え。校歌は日本をリードする存在になることを意識させてくれた。強く心に響き、印象に残っている」

 「日本を創(つく)る」。そんな志が高校時代に培われたためか、母校の話はあふれるように出てくる。

 「非常に自由で、挑戦、創造の意欲にあふれた学校。青春時代を過ごす上では最高の環境だった」という。その上で、こう明言した。

 「もう一度、高校を選ぶとしても『がおか』を選びますね


 ■英彦寮で学んだある心構え

 1年間の浪人時代。多くのがおかOBが通った学校併設の予備校「筑紫丘学館」(既に閉館)で学び、早稲田大商学部へ進学した。

 大学4年間は福岡県出身者が集まる県学生会館「英彦寮」(えいげんりょう)で過ごしたという。

 当時、東京・目黒にあった寮は、硬派な男子寮で、さまざまな大学の約80人の学生と寝食をともにした(当時の寮費は2食付きで月2万4000円)。

 寮に4年間残る学生は、同期入寮の30〜40人のうち10人ほど。藤原氏もそうした1人で、4年のときは寮長(自治会幹事長)を務めたという。

 体育会系でこわもての先輩も多く、1、2年の時は「理屈ではなく、理不尽であることの合理性も学んだ」。

 社会に出る前に縦社会の厳しさを知り、さらに寮長の経験から「リーダーとしての覚悟、心構えを学んだ」と振り返る。

 「みずほの頭取より、学生寮の寮長の方が偉かった」と笑う。

 ※次ページ(会員限定)は「九州でも新たな事業を構想」



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