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「戻る、去る」南阿蘇・立野の春 熊本地震 本震2年 帰還者1割どまり

記者:小川勝也、古川大二
熊本地震

再建したばかりの自宅で談笑する田中順子さん。奥の山には熊本地震の爪痕が残る=13日、熊本県南阿蘇村立野(撮影・帖地洸平)

「マンション暮らしは初めて」と話す丸野健雄さん。新居の周りには集合住宅や商業施設が多い=10日、熊本市東区(撮影・古川大二)

 熊本地震は16日、2度目の最大震度7を記録した本震から2年を迎える。本震で3人が犠牲になった熊本県南阿蘇村立野地区は、全360世帯を対象にした「長期避難世帯」の解除から約半年となる今も、地区に戻った住民は1割にとどまる。住民の意向調査でも地区に帰りたいと望む人は半数程度で、再生の道筋は描けないまま。慣れ親しんだ土地に戻る人、去る人。それぞれが決断を迫られている。

 熊本市東区の10階建てマンション。「鍵を掛ける習慣がなかったんで、戸惑うね」。立野の自宅が全壊した丸野健雄さん(74)は1日、同県菊陽町の「みなし仮設」から転居した。昨秋、立野に戻った片島幸康さん(68)は「まとめ役の丸野さんが出て行くのはとても残念」と肩を落とす。

 丸野さんにとって、苦渋の決断だった。村が立野に造る災害公営住宅も考えたが、駅が遠く不便だった。自宅再建も予想外に費用がかかる。「これもあれも駄目になった結果。ベストとは言えない」と寂しげだ。

 古里への思いは強い。2012年の九州北部豪雨で2人が犠牲になったことを受け、区長として自主防災クラブをつくり避難訓練も重ねた。震災で犠牲者が出て落胆したが、避難所で住民代表として奔走した。

 マンション生活は便利だが、顔なじみはいない。丸野さんが会長を務めていた集落の老人クラブも活動休止を決めた。「住む場所が変わっても、つながりをなくしたくない」。古里の歴史を記録する写真集を作り、住民に配るつもりだ。

      ◇

 「この空気と景色がやっぱりいいね」。13日、立野に戻った田中順子さん(76)の声が弾む。新居が完成したばかり。同県大津町の仮設団地からの引っ越しを終え、東京から駆け付けた長男(48)や親戚と、ごちそうを囲んで祝った。

 1人で暮らしていた自宅は全壊。知人宅を転々とし、仮設へ入った。殺風景な4畳半一間は「息が詰まり、気がめいった」。16年末、家を解体後も立野に足を運んだ。春はウグイスが鳴き、夏は冷房いらず。17年10月、避難認定が解除されてすぐ自宅再建を進めた。

 新居周辺は人けのない家や更地が多い。裏山には地震で崩落してむき出しのままの山肌が残る。また災害が起きないかという不安もあるが、田中さんは「ここでの当たり前の日常がどれだけ尊いか、今は分かる。一分一秒を大切に生きたい」と話す。



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