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本館新館Zサイド…天神の「盟主」岩田屋、波乱の歩みと“勝利の方程式” 福岡流通戦争モノ語り(3)

記者:福間慎一
フクオカ流通戦争

今は岩田屋本館(左)になったZサイドと、新館(右)のかぶりモノを手にする大塚ムネトさん。Zサイドは後方がロールアップしたおしゃれな髪形のようなデザインで「優雅さ」を強調した

岩田屋Zサイド(左)と新店舗建設予定地(2002年2月)



 平成の幕開けとともに、イムズやソラリアプラザが相次ぎオープンした福岡市・天神。以来、街は福岡県内のみならず九州中から若者を吸い寄せるようになった。

 その天神の中心に座り続けるのが「岩田屋」だ。1996年、その岩田屋が新たに開業させたのが「岩田屋Z―SIDE(サイド)」。それは翌年にエルガーラ、福岡三越が相次ぎ開館する「第3次天神流通戦争」の幕開けでもあった。

 「働く女性」をターゲットに絞り、ファッションの専門店をそろえた“とんがった”存在のZサイド。開店当日の本紙は<二階のファッション売り場の真ん中にアイスクリーム店があるのも、これまでの百貨店では考えられない>と驚いた。

 (ギンギラ太陽’s・大塚ムネトさん)ギンギラは、当時のZサイドを「買い物が下手でお金を使いすぎる『嫁ビル』」というキャラ設定にしました。イケてない商品をたくさん買って来る。そして夫である本館が「しょうがないなあ」とお金を渡す…そんなやりとりでした。

 福岡県外でもテレビCMを打ったZサイドには、開業当日15万人が訪れ、華々しいデビューを飾った。しかしその翌年の1997年2月期決算で、初の経常赤字に転落する。売上高の落ち込みは、Zサイドの不振が主因だった。

 (大塚)岩田屋はZサイド開店前に、品揃えをテナント任せにしない「自主編集」と「商品の買い取り仕入れ」を導入しましたが、当時はまだ社員が慣れていなかった面もありました。現場の「志はいいが、社員がついていけなかった」という声を覚えています。当時の岩田屋の志はまちがっていなかったのだと思います。

 斬新な存在として注目を集めたZサイド。しかし、その前段には大きな曲折があった。

 (大塚)今、三越が入っている西鉄の新ターミナルビルには「そのまま岩田屋が入居する」と誰もが思っていたのではないでしょうか?「岩田屋ではなく三越が出店する」というニュースは衝撃でした。

 Zサイド開業の4年前にあたる92年12月21日。岩田屋はそれまで検討してきた西鉄の再開発ビルへの出店断念を正式に通告。交渉決裂後、岩田屋はその代わりに西側にあるNTT跡地への進出を決め、Zサイドを開業させることになる。

 (大塚)岩田屋が求めていた売場の広さは2万平方メートルでした。これに対して、西鉄が示したのは半分以下の8700平方メートル。しかも1、2階には改札口やホームも入るので、売り場構成も分断されてしまいます。ただでさえ狭いのに、ターミナルデパートは「ハレの場」だけではなく「日常使いにも対応した店舗づくり」が求められる…。結局、交渉は決裂しました。




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