ようこそ ゲスト様

qBiz 西日本新聞経済電子版

築100年旅館、輝き再び 「ボロだけど」…レトロ感が女性客つかむ

2018年06月20日 15時00分 更新

記者:内田完爾


  • かつては大相撲の力士や人気歌手も泊まった「いくよ旅館」

  • 趣のある「いくよ旅館」の中でくつろぐ3代目の井本一郎さん

  • 廃業した「大成旅館」の前に立つ元経営者の鮎川さん親子

 北九州市戸畑区の築約100年の古い旅館が全国から宿泊客を集めている。戸畑港の近くに建てられ、かつては大相撲の力士や人気歌手も泊まった「いくよ旅館」だ。往時のにぎわいは消えたものの、近年はネットや本で紹介され、レトロな雰囲気を求める女性客らの心をつかんでいる。

 旅館に足を踏み入れると、広い玄関に飾られた元横綱の大鵬や佐田の山のサインが出迎える。年季の入った建物の床や階段は磨き上げられ、つややかに光る。

 ネット上のブログ「日本ボロ宿紀行」には、こんな感想がつづられている。「天井も高く、照明器具も100年前とは思えないゴージャスさ」「壁の透かしなども昔の旅館らしくてすごくいい雰囲気です」。昭和の面影が残る旅館を紹介する本「駅前旅館をいとおしむ」にも掲載され、遠くから訪れる客もいるという。

 3代目の井本一郎さん(68)によると、最近多いのは一人旅の女性。新婚旅行のカップルもやってきた。「内装が懐かしい」「レトロで良かった」と喜ばれる。「ボロだけど、物珍しさを求めて来るのだろう」と井本さんは笑う。

 1913(大正2)年、料理店として開業した。40年までに旅館に営業形態を変えたという。鉄をはじめ金属や製糖の工場もあり、工業都市・北九州の象徴だった戸畑区。戸畑港周辺は捕鯨や遠洋漁業の拠点ともなり、連日、宿泊客や宴会客であふれた。出張客、遠洋漁業に出発する人を見送る家族…。井本さんは「活気があって、札束を持った豪快なお客さんとの触れ合いが楽しかった」と子どものころの記憶を振り返る。

 近くで大相撲の巡業や芸能人のコンサートがあれば、特ににぎわった。「昔は毎日宴会だった。力士や歌手の坂本九、俳優の鶴田浩二も常連でした」

 産業構造の変化に伴い、遠洋漁業の基地はなくなり、工場も減っていった。63年に10万人を超えた同区の人口は今や5万人台に。井本さんの記憶では、70年ごろまで近くに7軒ほど旅館があったが、大半が廃業した。いくよ旅館も7人いた従業員が辞め、今は家族3人で宿泊客をもてなす。

 戸畑区は日本近代化を支えた区内の建造物をPRしようと「戸畑の近代化産業遺産マップ」を作成。いくよ旅館も掲載され、区内の散策を楽しむ観光客が旅館を訪れることもある。

 「時代は変わったなあ」とつぶやく井本さん。それでも、お客さんと触れ合う楽しみは今も昔も変わらない。だからこそ、できる限り続けたいと思っている。「経営は火の車だけど、いろんな人が来るからね」

旅館 ピーク時から半減

 「和式の構造、設備を主とする」などと定められた旅館は今、次々と姿を消している。厚生労働省の調査では、ピーク時の1980年の全国8万3226軒から、2016年度末は3万9489軒に半減。福岡県内は17年度末で539軒となり、10年間で326軒も減った。対照的にホテルは418軒と77軒増えた。

 北九州市小倉北区の老舗「大成旅館」は3月に廃業した。大正時代の建築とみられ、関東大震災以降の国の建築規制もあって、戦前の木造3階建ては希少だという。近代産業遺産を研究する市原猛志さん(38)は「国の登録文化財になる価値は十分ある」とみる。

 旅館として開業したのは1958年。市内で飲食店を経営していた故鮎川荒一さんが建物を間借りして始めた。最盛期には1日30人が泊まったが、最近は月15人程度に落ち込み、赤字続きだったという。建物の老朽化も進み、経営する鮎川一さん(83)親子は「大地震で倒壊の危険もある」と判断、廃業を決めた。

 都市圏では外国人客急増の影響もあってホテル開業ラッシュが続く。九州産業大観光学科の室岡祐司准教授(旅行産業論)は「出張客などは安いビジネスホテルに流れ、増加する訪日客の需要は民泊が取り込みつつある」と指摘。市原さんは「近代以降の和風建築は近年急減しており、取り壊される建物には貴重なものも多い。保存や活用を考える時期に来ている」と警鐘を鳴らしている。

ADGLAT




九州経済 ニュースの最新記事

そもそもqbizとは?

Recommend

ランキング

Recommend

特集 最新記事

コラム 最新記事