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「博多の新宿」に日はまた昇るか サンセルコ再開発、”南の都心”のにぎわいに期待

2018年10月20日 03時00分 更新

記者:石田剛


  • オープンし、多くの人出にぎわうサンセルコショッピングセンター=1979年3月2日

  • 天神の南に位置するサンセルコかいわいはかつて「南の都心」と位置付けられていた

 そのにぎわいぶりから、かつて「博多の新宿」と呼ばれたエリアがあった。福岡市中央区渡辺通1丁目。福岡市・天神の南北を貫くメインストリート、渡辺通りの南の玄関口に位置する。その「新宿」を再開発して建てられたのが、複合ビル「サンセルコ」とホテルニューオータニ博多だ。時を経てにぎわいの中心は1〜2キロ北のエリアに移った。再び活気を取り戻そうと、サンセルコで再開発の検討が始まった。

→「サンセルコ」建て替え検討 天神再開発の波、南の玄関口に

 「とにかく人が多くて、何でも売れた。午前中で商品が売り切れてしまうから、昼休みの時間に家から商品を補充するのをよく手伝ったよ」。再開発前に父親が商店を構えていた鶴田隆さん(76)はそう振り返る。戦後間もない物資不足の時代。ヤミ市から発展した商店が軒を並べ、毎日買い物客でごった返していたという。

 すぐそばには、「博多の台所」として今も親しまれる柳橋連合市場がある。なぜ、この一帯が繁華街になったのか。

 近現代史研究家の益田啓一郎さん(51)は、戦前、柳町(現在の博多区大博町一帯)から渡辺通1丁目の南側に位置する清川に遊郭が移されたことが大きいと説明する。「遊郭の移転で人の行き来が多くなり、にぎわいが生まれた。今のサンセルコのあたりは『花園町』と呼ばれていた」と説明する。

 1958年、売春防止法施行で「赤線」が廃止された後も、一帯はキャバレーや劇場が立ち並ぶ繁華街だったという。「福岡の南の観光スポットだった」と益田さんは言う。

 ただ、1960年代後半になると、狭い店舗がひしめきあう商店街は建て替えも進まず老朽化が目立ち、人通りが減り始めた。

 再開発事業が本格化したのは70年代になってから。78年9月にホテルニューオータニ博多が、翌79年3月にサンセルコがそれぞれ開業した。これは福岡市の市街地再開発事業の第1号。市がこのエリアの再生を重視していたことが分かる。

<次ページ:「ステップガーデン」のはしり>


建て替えに向けた検討が始まったサンセルコ=17日、福岡市中央区
昭和30年代の福岡市の旧市街。渡辺通1丁目から柳橋方面(以下、写真はいずれも本紙資料から)
オープンを翌日に控えた1979年3月1日付夕刊の本紙に掲載されたサンセルコの全面広告。<そのたたずまいは、ギリシャのアクロポリスに似て/吹き抜ける風はエーゲ海の香り――>
サンセルコのオープン日には、一丁目坂を”灯火”が駆け上がった=1979年3月
サンセルコショッピングセンターがオープンし、スカイガーデンにつながる「一丁目坂」を上る人たち=1979年3月2日
渡辺通り(奥)から階段状に続くサンセルコの外壁。「ステップガーデン」は今でこそ人通りは少ないが、サラリーマンの憩いの場所だ
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