ススキノ(札幌市)、歌舞伎町(東京・新宿)と並ぶ、日本三大歓楽街の一つが、福岡市・中洲だ。那珂川と博多川に挟まれたまさに「中州」には、2600軒ものスナックやクラブがひしめき、水面に映るネオンが男心を誘う。飲み会のフィナーレを飾るのが「シメ」だ。ラーメン、ギョーザ、うどんが「定番」(地元会社員)とはいえ、中高年の胃には「重い」時が。グルメもひしめく中洲には、地元通のシメがある。男が作る、おふくろの味だ。
■小説の世界に浸る
おわんのふたを開けると、もわっと湯気が広がった。
一杯のみそ汁。
「豆腐と油揚げ」「あらかぶ」など15種類のうち、最も人気の「玉葱とうずらの玉子」(税別350円)を頼んだ。
一口含んだ。熱っ。みそもだしもほどよく、互いの個性を尊重し合っていて、バランスがいい。
タマネギはシャキッとした食感が残る。二つ浮かんだウズラの生卵が、余熱で固まっていく。
ここは那珂川沿いの横町、人形小路。軒を接する料理屋の一角に「味噌汁 田(でん)」はある。
1階はカウンター8席だけ。2階の和室は予約が必要だ。ほぼ9割を占めるという常連客の1人が、元警視庁警視で福岡市出身の作家、濱嘉之さんだ。
代表作「警視庁公安部・青山望」シリーズでは「中洲のみそ汁屋」として登場。それを読んだ青山ファンたちが、関東や関西からも訪れ、小説の世界に浸る。
刺し身や煮物など一品料理もあり、客足のピークは午後6時半と午前0時の2度。1次会を「田」で過ごして、2次会、3次会を経て、再び「田」に戻ってくる客もいるという。
魅力は何か。常連たちに聞いてみた。
「おいしいから」
「ホッとするからかな」
「懐かしい味」
「年だからね。もう脂っこいのは胃にもたれる」
■それぞれの「母」が
35年前。プロのジャズベーシストだった田口隆洋さん(68)が洋食店での修業を経て、店を始めた。
もともとホステスやボーイなど中洲で働く人たちに出勤前、夕食を食べてもらおうと始めたが、口コミで広がった。音楽関係者のつながりも深い。
店にはジャズが流れる。年齢層は50〜60代。中高年の心と体を「おふくろの味」が癒やす。
中洲町連合会の専務理事、川原雅康さんにも極めつけの「シメ」を聞いてみた。1999年に百貨店を廃業した福岡玉屋(福岡市博多区中洲)の元常務で、中洲勤務歴は「40年以上」という。
中洲を案内することが多く、飲み会は相手の好みに合わせて豚骨ラーメンやすしで締めくくる。しかし、本心は、「クラブのママが手作りしてくれる『うどん』や『おでん』が大好き」という。
「人情味あふれるシメに、心が癒やされる」
通にはそれぞれの「母」がいるようだ。
■「本当のつながり」
中洲の起源は江戸時代初期にさかのぼる。黒田官兵衛(如水)、長政親子が、現在の昭和通りに当たる街道の東西に中島橋を架けたのが始まりとされる。
明治維新後、徐々に市街化され、電灯会社や電話局、医学校ができ、大正以降には、カフェやバー、百貨店が進出。やがて歓楽街として定着していった。
川原さんによると、40年ほど前は、キャバレーが立ち並び、「毎日が縁日やお祭りだった」(会社員OB)。
1980年代。日本は校内暴力や家庭内暴力が急増した。高度成長を経て、豊かさや効率さと引き換えに、大切な価値観を置き去りにしたのかもしれない。
それを浮き彫りにしたのが、女性会員たちとの共同生活を送った信仰集団「イエスの方舟(はこぶね)」。人形小路の一角には、彼女らが生活の糧に営むクラブ「シオンの娘」がある。
「現代の神隠し」と糾弾され、警察に書類送検されたが、不起訴処分となった主宰者の「おっちゃん」こと、千石剛賢さん。2001年に78歳で他界した後も、店は続く。
当時、女性たちが語った言葉に、世間は衝撃を受けた。
「本当の人間のつながりを知った」
男と女、酒と金。"欲望"に満ちた歓楽街にありながら、どこか安心できる場所が中洲にはある。最高のシメは、胃袋よりも心に訴える味なのかもしれない。